林保明写真展 2017.1.24〜1.29

『僕とロシアの物語』

林保明作品

その機会は突然やって来た。
5年前の東日本大震災から3日目、安否を尋ねるロシア語の電子メールが届いた。
前年の夏、ドイツのドレスデンで出会ったイリーナからのメールだ。
娘のエリーナが日本語を勉強している。
僕はすぐに返事を書いた。
すると東電福島の放射能汚染水が、太平洋に流れ出ている事を報じたニュースのすぐ後、また一通のメールが来た。
それにはサンクト・ペテルブルグ近郊の住所と共に『もしあなたに、この困難な状況をロシアで乗り越えて行く覚悟があるなら、私達はあなたの家族を迎える事が出来る!』と書いてあった。

良きに付け悪しきに付け、何かと話題になる国ロシア。
でもその国の本当の姿を僕は知らない。
ちまたに流れているロシアのイメージは悪い方が先行しているようだ。
でも芸術や科学技術の分野では昔から定評があった。
「一体全体どんな国なのだろう?」そんな子供の頃からの疑問がきっかけでした。


『僕とロシアの物語』

ロシアがまだソ連と呼ばれていた子供の頃、僕の故郷横浜から極東のナホトカまで、客船が多い時には週1便通っていた。
もう50年以上も前の話である。
それはソ連崩壊後の1992年まで続いていた。

大桟橋の出航風景も何度か見たことがある。
色とりどりのテープが投げられ、船上のロックバンドがロシア民謡『カチュ−シャ』などを演奏していた。
その当時の横浜には米軍の駐屯地などがあって、アメリカ人を目にする機会が多く、子供達の間では、外国と言うと『アメリカ!』と答えるのがごく一般的な世界観だった。
テレビでは、アメリカのホームドラマと西部劇が毎日のように流れていた。

だが一方で、ラジオから時々聞こえてくる、哀愁のあるロシア民謡は、音楽好きな僕の心に抵抗なく入って来た。
『ともしび』(夜霧のかなたに、別れを告げ・・・)、『すずらん』(ある夏の夜、静かな森を一人歩くとき・・・)、今でもその歌詞はすぐに思い出す。
「素晴らしき、モスクワ郊外の・・・」と言う、『モスクワ郊外の夕べ』を聞くたびに、「いつか、夏のモスクワの町を歩いてみたい!」と思っていた。

まだ共産主義が、ある種理想のように語られていた時代である。
科学技術や芸術の分野では、ソ連はアメリカより進んでいると言うイメージがあった。
そのせいか、大学の教養課程では第二外国語にロシア語を選んだ。
シベリア鉄道経由でヨーロッパへ行くことが若者の夢だった時代のことだ。

モノクロ写真30点ほどを展示します。

林保明展1 林保明展2 林保明展3 林保明展4

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林 保明(はやし やすあき)プロフィール
  • 1950年 横浜生まれ
  • 1976年 九州芸術工科大学 (現九州大学芸術工学部) 音響設計学科卒業
  • 1996年 慶應義塾外国語学校 朝鮮語学科卒業
  • 1995年〜96年 川崎市民ミュージアム写真講座受講
  • 1999年 ギャラリーf分の1で個展 『海峡を渡って見ないか!』
  • 以降、ギャラリーf分の1で二人展1回と個展14回開催
  • <作家ホームページ> http://homepage2.nifty.com/500miles/

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